ヤーヤの練りのない2月がまた始まった。本来であれば、例年この時期は印刷と配達が終わり次第、連日練りに飛び込んでシャッターを切り続けることになる。夜の取材が続くことになるが、祭り特有の雰囲気にあてられるせいか高揚感に突き動かされるような感じで、辛いと思うことはない。
新型コロナウイルス感染症の影響による3年連続の祭事の中止は誰が悪い訳でもなく、仕方がないと理解しているが、やはりさみしい。
祭事はないが、今年も神事はつつがなく行われている。御扉開きでは参列者の人数を制限したものの、各町の提灯の明かりが戻った。神事終了後の、ヤーヤ衆による太鼓やほら貝、「チョーサじゃ」の叫びに尾鷲人の意地と気概を感じる。伝統は過去のものではなく、人とともに今を生きて未来につながるものである。
昨年のヤーヤ祭りを解説する講演会の冒頭、在回りの再現を見、矢浜神楽を聞いて、血が騒ぐような感覚を覚えた。コロナ禍の中、諦めるのにも慣れ、「来年こそは」の言葉にもどこか空しさを感じることは否めない。それでもなお、来年こそは安心して勇壮な練りが見たい、そう強く願う。
(R)