尾鷲市向井の三重県立熊野古道センターで展示棟ホールで特別展示「望郷 潮騒が奏でる尾鷲の浦村」が行われている。現在は〝廃村〟となっている元盛松(もとさがりまつ)、頼母(たのも)、元行野、元須賀利の各集落を紹介している。
来年、尾鷲市が市制70周年を迎えることから、時代が過ぎるとともに、脳裏から消え去っているかつての尾鷲を知ってもらいたいと企画。昨年、今年1~4月に現地を調査。20枚あまりの写真パネルと、集落を紹介する13枚のパネルなどで構成している。
尾鷲市は、北牟婁郡尾鷲町、久木村、須賀利村と南牟婁郡北輪内村、南輪内村の1町4村が昭和29(1954)年6月20日に合併して誕生。江戸時代には「尾鷲組」「木本組」に23の浦村が所属していた。いくつかの集落は時代とともに、より住みやすい場所に新たな集落を作って、現在の尾鷲を形作っている。
現在の行野浦は、約3キロ南の毛尻湾に面した場所にあった集落が、集落ごと移転して成立している。展示によると元行野は、豊かな漁場に面しているが、熊野灘の荒波を直接受けるため、船を着けるところがなく、船の揚げ降ろしが非常に困難ということで、現在の松本に移住することになったという。最初の移住は江戸時代前期の万治2(1659)年で、その時には元行野には18軒の家があり130人が暮らしていたという。最初の移住は4軒だけで、その後、徐々に移転が進み、大正半ばまで約260年かけて移住がなされたという。
担当した橋本博副センター長は、現地へ行くのは大変きびしい道のりだった、と言い、「標高差約150メートル、谷に沿って多くの家があった様子がうかがえる」と話していた。
展示は12月24日(日)まで。