雨の中で花火を撮影していた港まつりの翌日、部屋でぼんやりとしながら8時15分を待った。わずかな時間ではあるが、広島を思って祈りを捧げる。港まつりの後から盆まで、慰霊の季節という感がある。
紀伊長島郷土資料室の企画展で、戦中の三野瀬駅列車銃撃事件と紀伊長島駅前の空襲について知ることができた。被害の全容の記録できておらず、戦火の中で余力がなく人の命が軽んじられる状況にあったことが察せられる。漁船の徴用についても先の取材で「戦時中は漁師がいなくて、この地域でも魚が食べられなかった」と聞いたことを思い出した。
広島で行われた平和式典で広島市長が「核抑止論は破綻している」と述べている。核抑止論の正否はさておくとしても、ウクライナ侵攻で追い詰められたロシアが核兵器の使用をちらつかせたという現実は重い。
どんな言葉で国益や正義を主張しても、被害にあった市井の人々には理不尽でしかない。戦争がない世界は果たして訪れるのか、冷房の効いた部屋で考えても、答えが見えない。
(R)