尾鷲神社の例大祭「ヤーヤ祭り」は、尾鷲人の誇りだが、高齢化の進行で、改革の論議を耳にした。
昭和62年に長島の燈籠祭が復活して何年かたった頃、その活況に驚いた尾鷲の若者が、懇談を申し入れてきた。燈籠祭実行委の幹部だった筆者も参加。尾鷲側の出席者は「燈籠イベントにかける情熱と、町の伝統の発掘と創造を成し遂げた若者の知恵と力に拍手する」と述べた。
2つの祭りは根本的な違いがある。燈籠祭は昭和3年に長島青年団が創始した「赤羽川川開き」が前身。青年団では、2年後の紀勢東線紀伊長島駅開業を前に、観光振興を目指した企画の一つが「赤羽川河口部の海水浴場化」だった。祭りは宗教性ゼロ。2年後には青年団8支部の流燈コンクールに発展し、世界的に話題になっていた飛行船を模した巨大な燈籠が登場した。
戦後もしばらくコンクールが続き、毎年テレビで放映され、知名度は全国的となった。復活後は、会場も資金源も改革し、有名バンド「聖飢魔II」の出演には、地域社会から反発もあったが、乗り切った。組織は毎年若返る。
若者が主体的に取り組むには、創造と改革、競争、大人社会の度量が絶対条件だ。
(北)