新宮市議会9月定例会の最終日は、議会の自律も良識も失われた惨状を市民の前にさらした。月輪匡克議員が議員発案で市議会解散を提出し、賛成少数で否決された。発議に同調したのは福田讓議員らに限られ、多くの議員は提案権の乱用などと批判した。解散は、議会が自らの存在を白紙に戻し、市民に信を問う最後の手段である。それを議場内の対立や不満の延長で持ち出したのであれば、議会制民主主義そのものを軽んじる行動と言われても仕方がない。
この解散発議は、新宮市政治倫理条例の一部改正案が思い通りに進まなかったことへの反発を背景にしていると受け止められている。新宮市の政治倫理条例は、2021(令和3)年12月定例会で全会一致により可決された重い制度であり、その見直しもまた慎重な審議が求められる性質のものだ。特別委員会で審議するという手続きは、むしろ拙速を避けるための当然の対応といえる。そこに不満があるからといって、直ちに解散を振りかざすのは筋違いであり、政治的な節度を欠く。また、月輪議員は提案理由説明や質疑への答弁の中で、「利益相反の疑い」という言葉を何度も口にしたが、今現在、指定管理を受けている民間事業者を容易に連想させる発言だった。質疑で「調査したのか」との問いには、「していない。今後のため」と繰り返したが、民間事業者が反論できない本会議という公式の場での発言は重く、議員としての資質を疑う。市から施設の修繕等を満足に受けられなくても、新たなことに挑戦し、地区を含めて盛り上げようとする民間事業者のやる気をそぐ発言で、名誉棄損や人権侵害にあたる可能性も否定できない。
議員に提案権があるのは、議会を混乱させるためではない。議論を深め、市民の利益につながる結論を導くためである。権利があることと、何をしても許されることは同じではない。制度上できるから出すという発想がまかり通れば、議会は熟議の場ではなく、単に感情をぶつけ合う場になる。今回の発議はまさにその危うさを示した。その責任を問う形で、月輪議員と福田議員に対する問責決議案が提出され、ともに賛成多数で可決された。さらに、6月定例会と9月定例会での言動を巡り、議会の品位と秩序を乱したとして大西強議員への問責決議も可決された。議長の注意を無視し、元議員でも今は一般市民の名前を何度もあげて批判を繰り返したことは公人としてあるまじき行為だった。
問責が相次ぐ事態は異常。市民が求めているのは生活に関わる課題を前に進める責任ある議論。議会が内部の争いに時間を浪費すれば、そのしわ寄せは市民に向かう。市議会は住民の負託を受けた公の機関であって、私的な腹いせや駆け引きの舞台ではない。新宮市議会はいま、自らの劣化を直視すべき。解散という最も重い手続きを軽々しく持ち出した責任は重い。提案権を盾に議会を揺さぶる行為も、品位を失った言動も、断じて許されない。市民の信頼を失った議会に未来はない。まず必要なのは言い訳ではなく、明確な反省と、議会の規律を立て直す具体策を示すことだ。
