東日本大震災が発生したあの日、皆さんはどこでどのように過ごしていただろうか。紀宝町の自宅にいた私は、当時まだ1歳になったばかりの長男を抱っこしながら、テレビから流れてくる目を疑うような衝撃映像に見入っていた。
巨大な津波がまちを飲み込み、川をどこまでも遡上してくる。逃げ遅れ、取り残された人々が画面に映る。「急いで走って」「そっちじゃない」と叫んでもその声が決して届くことはない。自然の脅威に恐れおののくとともに、人間の無力さに絶望していた。
あれから12年が経過。犠牲者を追悼し、災害の教訓を後世に伝えるため、今年も各地でさまざまな行事が行われている。撮影機材の発達により現代では映像がたくさん残っているので、見返せば昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。しかし人々の記憶の風化は確実に進んでいる。
天災は、忘れたころにやってくる。私たちは災害リスクの高い地域に住んでいることを今一度、再認識し、いつか起こるもしもへの備えを見つめ直すきっかけとなるよう、3月11日を迎えたい。
【織】