中学生が思いを語る「少年メッセージ2022」の東牟婁地方予選会が4日、丹鶴ホールで行われた。思春期の中学生のその繊細な感性から打ち出されるおそろしく力強いメッセージに、胸の内が熱くなる。と同時に、わずかな悔しさもこみ上げる。
人の心を打つのは、いつだって素朴な言葉である。日々紙面を通して文章表現をしていると、言葉が自分の中心から離れていくことがある。本音から遠ざかり、頭で練り上げた理屈や建前で力ない言葉を羅列し、結果、何が伝えたかったのかわからなくなる。「伝えたいこと」の前に「書くべきこと」が来るとそうなるのだろう。どこかの哲学者が本当の自由はやるべきこととやりたいことが一致した状態であると定義していたが、そこから言うとそれは不自由な表現である。
だからこそ中学生のメッセージを聞いたとき、その純粋な感受性と冷静な言葉が見事に中和された表現に少しの悔しさを覚えた。入賞かどうかではない。教室の窓ガラスを突き抜けてどこまでも飛んで行きそうなほど、どれも自由な表現だった。
感性を研ぎ澄まし、自分の中心から言葉を発する。学びの多い取材であった。
【稜】